立地適正化を見据えた豊田市の人口動態に関する基礎的調査研究
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22.豊⽥市の⼈⼝動態と都市を取り巻く状況 2-1.豊⽥市の発展の歴史的な経緯 豊⽥市の発展の歴史的な経緯を、主に豊⽥市統計書1)の記述を踏まえて整理する。 豊⽥市のルーツは1万6千年前の先⼟器時代と⾔われている。その後時代が下り、鎌倉時代には、今⽇⾒られる古くからの集落がほとんどできあがったと⾔われている。そして、江⼾時代には地名が「⾐」から「挙⺟」に改められた。 明治から⼤正にかけて、挙⺟町は養蚕・製⽷業を中⼼に発展を遂げた。しかし、昭和に⼊ると国内・外の⽣⽷の需要は急速に陰りを⾒せ始めたが、ちょうどこの時期、刈⾕の豊⽥⾃動織機製作所が、新しく設置した⾃動⾞製造の⼯場⽤地をさがしていた。 当時の中村寿⼀町⻑はじめ⼤勢の⼈々の努⼒の末、⼯場の誘致が実現し、昭和13年にはトヨタ⾃動⾞⼯業株式会社(現・トヨタ⾃動⾞株式会社)の挙⺟⼯場が論地ケ原(現・トヨタ町)の丘陵地に完成した。ここに「クルマのまち・豊⽥」としての第⼀歩を踏み出した。町にも再び活気が戻り、⼈⼝も、1935年に1万4千⼈、1940年に2万5千⼈と急速に増えていった。 図2-1 1937年の挙⺟町2) 1) 豊⽥市: 豊⽥市統計書 平成27年版, 2017年3⽉, 2017. 2) 豊⽥市郷⼟資料館: 挙⺟ 資料にみる明治 ⼤正 昭和のあゆみ, 1995.

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