まちと交通 2001年10月 6号
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18 TTRI Letter No.6写真でみる 芸術都市ウィーン その1世界の都市写真1写真3写真4写真5写真6写真2p.24につづく【都市概要】 オーストリア共和国の首都ウィーンは、面積415km2、人口156万人(1992年)、東にはドナウ河が流れ、中心部をドナウ運河通っている。このまちの成り立ちは古く、古代ローマ時代に都市構造が整ったが、その後12世紀末には拡張されひとまわり大きくなり、19世紀後半には城壁が取り壊され、さらに拡大していった。現在、まちは23区に分けられ、かつての城壁内であった旧市街地を1区として、環状に郊外へ行くほど数字が大きくなっていく(区にはそれぞれ名前が付けられている)。【みち】 環状に成長した都市であるため、碁盤の目のように整然とした道ではない。地図をみると、道に「シュトラーセ(Strasse)」、「ガッセ(Gasse)」という文字が目につく。シュトラーセは大通り、ガッセは小路を意味である。◆「リングシュトラーセ」〈写真1,2〉 シュトラーセの名でよく知られているのは、全長4、幅60m、さらに左右に遊歩道を有す「リングシュトラーセ」(環状道路)である。1860年まで、そこにはウィーンの街を取り囲んでいた城壁があり、都市改造計画によって取り除かれた。なおこのリングは場所により「シューベルトリンク」、「オペルリンク」、「ブルクリンク」etc.と名が変わる。 旧市街を囲む、公園のように緑の多いこの環状道路にはトラムも走っている。路面電車は1960年代に登場したというが、当時は馬がひいていた。19世紀末に電化された路面電車となった。◆「ケルントナー通り」〈写真3,4,5,6〉 旧市街にある「ケルントナー通り」も有名な通りで、ウィーンの中心ともいえるシュテファン寺院からオペラ座を結ぶ約1.2の通りは歩行者天国として知られている。1974年、建築家W.ホルツバウアーにより歩行者天国化のデザインがされている。 この成功によって70年代ウィーン内部では広場・街路の歩行者天国化が進み、アスファルト舗装が石畳に変えられ、植栽、ベンチ、彫刻作品が配置されていった。結果、中心市街地では1978年30,000、1984年には35,891が歩行者空間として整備されている。旧市街の車を遮断することで、歴史的環境を保護し、オープンスペースも確保している。

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