まちと交通 1999年10月 2号
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在ブラジリア(名古屋工業大学教授) 山本 幸司1.プロローグ ブラジリア大学都市交通人材養成センター(CEFTRU/UnB)へのJICAプロジェクト方式技術協力(都市交通人材開発プロジェクト)が1998年8月1日にスタートした。昨年は2ヶ月間短期専門家として赴任したが、今年は1999年3月22日に家族(家内と次女)とともに関西国際空港を出発し、23日昼前にブラジリアに到着した。関空を出発後、30時間を超える長旅であった。 私達はスーツケース10個、ダンボール2個を持参したが、関空内JALチェックインカウンター前のセキュリティーチェックで引っかかってしまった。ガードマンから「このスーツケースにバルサンを入れていませんか?」と尋ねられた。バルサンはJICAの派遣前集合研修資料に持参すべき品物として載っていたので、当然のごとく入れた次第であるが、持ち込みを認められなかった。「この辺りに2個入っていますね」と指摘され、見送りに来ていた長女に持ち帰ってもらった。何故噴霧式のアースは問題なくて、バルサンがいけないのか未だによくわからないが、このガードマンのような勤勉さがあれば、羽田空港での例のハイジャック事件は発生しなかったのではないだろうか。ともあれ、このようなハプニングで私達の長期赴任生活がスタートした。2.都市交通人材開発プロジェクトの 概要 ブラジルでは道路交通に関わる国家政策の計画立案・調整・実施、および関連する技術開発や人材育成を担ってきたブラジル都市交通公社が、行政改革に伴って1990年に廃止された。このため、各州・市政府や民間の交通輸送機関は連邦政府からの技術的・経済的支援を断たれ、リオデジャネイロ・サンパウロ等の大都市、ならびに都市交通分野で先駆的なクリチバ等を除く地方都市ではこの分野の技術開発や人材育成から取り残され、憲法で定められた都市交通マスタープランも作成できなくなった。 このような時代背景のもとに、私がJICAの個別派遣事業で関わったブラジリア大学大学院都市交通専攻(MTU/UnB)の先生方から、「連邦政府の行政改革があっても組織として存続しうるよう、首都ブラジリアにある高等教育研究機関としてのUnBに人材養成組織を作りたい。また、人材養成を目的とする研修実施には関連分野の研究や技術開発が不可欠と判断しうるため、大学の付属機関として人材養成組織を設立したい」という強い要望を受けた。 その後は数年間の紆余曲折があったが、ブラジル運輸省とUnB当局の全面的支援を受けて、1996年3月にCEFTRU/UnBが設立された。そしてその活動を支援するための我々のプロジェクトも1998年8月にスタートした。現在CEFTRUは、UnBがリサーチパークとして整備する区域に、敷地面積5,000㎡、建築面積1,860㎡という立派な施設を建設し、主としてMTU/UnBの教官達で運営されている。日本と同様にブラジルでも大学は教育研究機関としての責務を果たすだけではなく、その社会的貢献が期待されているが、その意味からもこのプロジェクトの意義は大きいと思われる。 本プロジェクトで技術協力の対象とする分野は、CEFTRU自体が取り組む8つの研究・人材養成分野のうち、都市交通計画、都市交通管理、道路設計・舗装、公共輸送の計画・運営・管理、都市貨物輸送の5分野であり、日本側は文部省、建設省、運輸省の共同案件となっている。しかし、期間:4年、長期専門家:1名/年、短期専門家:数名/年、機材供与:総額1.5億円、C/P(相手方技術者)研修受入れ:3~4名/年、というように比較的スリムなプロジェクトとなっている。3.ブラジリアの交通事情と 当地での生活 ブラジリアは1956年に就任したクビチェック大統領の強力な指導力のもとに、ブラジル人建築家ルシオ・コスタが作成したパイロット・プランに基づいてわずか4年間で建設され、1960年4月21日に新首都として誕生した。ブラジリアのプラノ・ピロット(ブラジリア中心部)は1987年にユネスコの世界文化遺産に登録されたため、またルシオ・コスタやオスカー・ニーマイヤー(ブラジリアの公共建築物の多くを設計した)に配慮して、現在の姿は永久に保存されることになった。しかし、建設後わずか40年の新都市であり、ルシオ・コスタ自身が急激なモータリゼーションや都市拡大を予想していなかったことを考えると、ブラジリアが今後どのように発展していくのかは非常に興味深い。余談であるが、プラノ・ピロット郊外にあったオスカー・ニーマイヤーの邸宅は、彼がリオデジャネイロに移り住んだために、現在はUnBの迎賓館となっているそうである。 ブラジリアの誕生秘話や都市計画の内容については「季刊大林、No.44、1998.7」に詳しく述べられており、都市交通に言及した拙稿も名古屋都市センターの機関誌「アーバンアドバンス」最新号(No.14、1999.8)に掲載予定なので、それを参照願いたい。 本来、ルシオ・コスタは十字架をイメージしたらしいが、プラノ・ピロットの形状は飛行機に例えられることが多い。その機首は東を向いており、長さ約10㎞の胴体部分にはエ通信 ブラジリア便り
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