662章 挑戦期 1995-2003( 平成7年 〜15年 )目として総務部長を務めていた浦野芳樹が総務部長との兼任で新ポストに就任した。これにより、研究企画部を事務局長の下に置く新たな組織体制が築かれた。 社会実験を核とした、調査研究の受託へ 当時豊田都市交通研究所では、長引く不景気を乗り切るために収入源を確立させることが喫緊の課題となっていたが、そこに新たな風を吹き込んだのが伊豆原だった。 伊豆原はかつて名古屋工業大学に在籍し、建築の設計監理・都市デザイン・コンサルタントを行う日建設計にも勤務。こうした経歴を通じて幅広い人脈を築いていただけでなく、都市交通計画に関する実践研究経験も多くもっていた。また、伊豆原はこのネットワークや知識を生かし、省庁などが必要とする調査・研究をうまく見いだしてオペレーションし、事業の受託を取り付けた。このころはまだ官公庁でも随意契約での発注が多く、人脈やネットワークが重要な時代でもあったことから、伊豆原の存在が事業の受託に大きく寄与したと言えよう。 またこうした事業の受け入れは、研究所の方向性にも変化をもたらした。当時の受託事業の特徴に、社会実験を核として研究を進めるスタイルのものが多かったことが挙げられるが、これは受託財源によって、幅広く住民へのアンケートや住民参加による社会実験が可能だったからだ。
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