2章 挑戦期 1995-2003( 平成7年 〜15年 )651 実践的研究の本格化進化する組織体制 バブル崩壊後の平成7年(1995)正月。日本は今後、経済を回復させ、再び成長へと転じさせることができるのか。未来への明るい展望が描けないまま、不安とともに年は明けた。しかしその不安を、1月17日未明に関西地方一帯を直撃した阪神・淡路大震災がさらに大きくした。それだけでなく、3月には東京・霞ヶ関で地下鉄サリン事件が発生。 こうした情勢への不安感を解消しようと、政府は景気てこ入れ政策を行ったが、景気は回復することなく日本経済は低迷。後にこのころの時代は「失われた10年」と呼ばれることとなる。 長期にわたる平成の不景気はこの先もしばらく続くことになったが、それだからこそ視点を変化させ、前向きに進むことが求められる時代でもあった。 平成7年4月、豊田都市交通研究所では研究企画部長に、大学教員や民間企業でのコンサルタント経験をもつ伊豆原浩二(現・NPO法人 ひと育て・モノづくり・まちづくり達人ネットワーク代表)を迎え入れた。それと同時に事務局長のポストを新設、平成5年(1993)から2代
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