交通まちづくりとともに
67/202

621章  黎明期 1991-1994( 平成3年 〜6年 )将来の研究所を担う、人材育成をめざして 創立から数年、社会実験などを通して研究所としての存在感を高めつつあった豊田都市交通研究所だが、内部に交通を専門とした研究者がおらず、実践的な研究を外部に委託せざるを得ないのも実情で、それは研究所における課題の一つとなっていた。 そこでプロパー研究員の採用も開始。実践的な研究者として第一号となったのが平成6年(1994)に入所した山崎基浩だ。山崎の入所までは、大学やその他の機関との共同研究を主に行ってきたが、プロパーの研究員を採用することで、所内での自主研究に着手できる環境づくりを進めた。 さらに、外部の研究者のなかでも若手の研究者らへ研究資金を支援したり、豊田市の若手職員による研究チームの活動支援も行った。このころの若手学者の代表とも言えるのが、名古屋大学工学部助教授の森川高行氏(現・未来社会創造機構 モビリティ社会研究所教授)であった。 創立から4年、豊田都市交通研究所における黎明の時代は、受託事業、社会実験、共同研究、そして自主研究と、多岐にわたる経験をすることで独自性を探りながら、その後の研究スタイルの基盤づくりを行った期間とも言えた。そしてめまぐるしく世相が動くなか、研究所は次の挑戦期という時代を迎えるのである。

元のページ  ../index.html#67

このブックを見る