交通まちづくりとともに
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1章  黎明期 1991-1994( 平成3年 〜6年 )533固まりゆく基盤バブル崩壊と、未来予想の方向転換 平成初頭から始まった株価の下落はバブル崩壊へとつながり、その影響は否応なく豊田都市交通研究所にも襲いかかっていた。 そもそも研究所の設立が考案された昭和後期は長期にわたる好景気の真っ只中で、その陰りを疑う者はいなかった。これは研究所に限ったことではなく、日本全体が輝く未来の青写真を描いた時代だったと言っても過言ではない。誰がそのころ、今日までの長期のデフレや低金利時代が訪れると予測しただろうか。 前節でも少し触れたが、平成元年(1989)に作成された資料「交通モデル都市における研究所構想の基礎調査」によると、研究所は21世紀初頭には100億円規模の財団をめざす構想が示されている。収入も基金運用収入だけで4・37億円(金利4・6パーセントとして)が想定されていたほか、不動産所有の検討や名古屋駅前サロンの開設などの未来予想図も描かれていた。またそのほかの財源として、基金のほかに豊田市からの補助金や、民間からの潤沢な寄付金も想定さ

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