交通まちづくりとともに
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1章  黎明期 1991-1994( 平成3年 〜6年 )51ワースト汚名返上へ、交通事故の分析開始 豊田都市交通研究所において交通事故データの分析が始まったのは、平成5年(1993)のことだ。愛知県警から豊田市に提供される人身事故データに基づき、事故発生マップを整理・提案するためのものであった。 昭和40年代から愛知県の交通死亡事故発生件数は常に全国のワースト上位に入っており、なかでも豊田警察署管内での死亡事故は県下ワースト1の常連であった。そのため、事故原因を明らかにしたうえでの対策の重要性が浮上していた。その短期・中期の対策立案のために豊田警察署、名古屋国道工事事務所、愛知県豊田土木事務所(現・豊田加茂建設事務所)、豊田市の担当者で「豊田市交通安全対策調査委員会」が設置され、データ分析を研究所が担うことになった。 このプロジェクトでは、安田火災海上保険(現・損保ジャパン日本興亜)から派遣されていた研究員がデータ分析にあたった。当時はパソコンが普及していなかったこともあり、データを集積するのにも苦労が多かった。その集積方法は実にアナログで、研究員が豊田署に直接出向き、事故台帳からデータを読み取り、地図上に転記していたと言う。こうして集められた過去3年間の人身事故の詳細な分析に基づき、初年度は21の信号交差点で現地調査を実施。それをもとに対策が立案され、措置が講じられた。

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