交通まちづくりとともに
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1章  黎明期 1991-1994( 平成3年 〜6年 )41行政と民間の協力のもとに 豊田都市交通研究所の職員は、研究所での研究成果を蓄積するとともに独自性を保った研究を進めるため、豊田市から2名、トヨタ自動車から2名、臨時職員2名の計6名で構成された。設立した翌年の平成4年(1992)には、愛知県や損保会社(安田海上火災)といったさまざまなバックグラウンドをもつ出向者らが加わった。当時、研究の活動においては、中部大学教授の竹内伝史氏や当時の岐阜大学学長・加藤晃氏、名古屋工業大学教授の山本幸司氏など中部地域の研究者はじめ東京大学教授の太田勝敏(前所長)や原田昇(現所長)など中央省庁とのつながりを持つ東京の研究者とも連携しあい、チームとして研究にあたっていた。企画運営委員会(現・研究企画委員会)メンバーであった大学研究者らが主体となり、研究を企画。職員が活動するというスタイルであった。研究の手法は文献の調査や現地調査の結果を取りまとめるのが中心で、大学の若手研究者らへ研究資金を支援したり、市の若手職員による研究チームの活動を支援していた。 創立当初の研究所の活動において、中心的存在となっていたのがトヨタ自動車から出向していた研究企画部長の岸田伸一郎である。トヨタ自動車時代には広報部の交通環境課に在籍し、自らが先頭に立って研究所設立に向け奔走した経緯の持ち主であった。社内では研究所設立の起案づ

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