1章 黎明期 1991-1994( 平成3年 〜6年 )37も検討されていた。開所間もないまだフロアに机もなく床にファックスが直置きだった豊田都市交通研究所では、交通問題研究会のころから関わっていた豊田高専の荻野氏ら研究者や市の若手職員が出入りし、自由闊達な活動に着手していた。グローバルな視点での体制づくり 研究所の設立にあたり、国際的な活動を展開し世界的な情報発信を視野に入れるとともに中央省庁との連携を考慮した結果、初代理事長には豊田市長の加藤正一が、所長には東京大学名誉教授で、わが国における都市交通計画研究の第一人者として知られる新谷洋二が就任した。 新谷は豊田市と古くからのかかわりがあり、それを紐解くと、時代は挙母市から豊田市に市名を改名した昭和34年(1959)までさかのぼる。当時、都市計画は国が中心となって行い、役人が各地に赴いて計画を立案するのが通常だったが、その担当者として任命されたのが新谷であった。昭和35年(1960)に豊田都市計画を策定し、それが現在の豊田都市計画の基礎になっている。
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