交通まちづくりとともに
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361章  黎明期 1991-1994( 平成3年 〜6年 )会が縁あって合流し、改組・拡充したという経緯が、豊田都市交通研究所の設立の背景の一つにあったことを改めてここに記しておきたい。 駐車場案内システム導入に関する社会実験は研究所設立後も続き、カーラジオを通じて1620ヘルツで聞ける駐車場の自動音声案内や、当時はまだ珍しかった緑色のLEDの可変表示による駐車場文字放送案内の開始にもつながっている。豊田(TOYOTA)の名を冠して 豊田都市交通問題研究会を進化させたものとして命名する折に、まず、世界からも知名度が高く、豊田市とトヨタ自動車のどちらにも共通する「豊田(TOYOTA)」の名が残されることになった。さらに「問題解決型」から「政策提案型」の研究機関として進展するため、また、本格的なシンクタンク機能をもつ機関の総称に相応しくなるよう、「研究会」は「研究所」に改められた。 研究所が設立された場所は、豊田市役所から近く関係者が気軽に立ち寄れる、西町四丁目の中根ニッセイビル。当時、同ビル内には開村計画があった国際村準備室も入居していた。国際村はバブル崩壊後にその計画は白紙となったが、研究所がその中心機関として位置づけられる企画案

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