1章 黎明期 1991-1994( 平成3年 〜6年 )35緊急情報などを掲示できる案内板は当時としては画期的なもので、先見性のあるものとして注目された。 これらの社会実験を重ねるうちに、「このような研究・開発・実証を研究機関から発信する仕組みは、世の中にもなじみやすいうえ、世界へも情報が発信しやすいのではないか」という意見が研究会内外から出るようになった。また、当時のヨーロッパの交通問題に関する先進事例にも、官民が共同で研究を行うケースは散見された。 こうした流れを受けて、トヨタ自動車社長の豊田章一郎氏と、建設省中部地方建設局長の藤井治芳氏との間に話し合いが設けられ、「豊田市を世界にも通用する交通に関するモデル都市に」との考えが合意。豊田市長の加藤正一氏が尽力した結果、財団法人豊田都市交通問題研究会を発展的に改組した、財団法人豊田都市交通研究所が平成3年(1991)3月、設立された。 先に触れた駐車場の案内システムは、昭和43年(1968)から活動していたトヨタ交通環境委員会の活動を引き継いだものとも言える。トヨタ交通環境委員会は、トヨタ自工内の複数の部署から成る組織であった。昭和40年~50年に急激に発展していた自動車社会のニーズにこたえるべく、よりよい道路や駐車場づくりを目的に同社内で実践的かつ専門的に活動していた。 このトヨタ交通環境委員会と、交通問題に取り組んでいた豊田市や地域団体で構成された研究
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