交通まちづくりとともに
39/202

341章  黎明期 1991-1994( 平成3年 〜6年 )進することで、モデル事業による社会実験を通して社会評価や普及を図ることができるのではないかと考えられた。 研究所設立の契機となった駐車場案内システム ちょうどそのころ、豊田市の中心部にある駐車場の使いづらさが大きな問題となっていた。再開発の始まった駅前には多くの駐車場がつくられ街の活性化が図られていたものの、どこに駐車場があるか分かりづらいうえ、満車・空車も判別しづらく慢性的に渋滞が起こりやすくなっていた。当時の日本では、駐車場対策が社会実験として行われていた程度で、駐車場案内システムは本格的に導入されていなかった。 その課題を解決するべく、豊田都市交通問題研究会は豊田市に駐車場案内システム導入を進言。正式にプロジェクトが立ち上がり、トヨタ自動車、豊田工業高等専門学校と協働して、愛知環状鉄道沿いのけやき通りで交通実験を行うことになった。実験では100人近いアルバイトを雇い、無線機を使いながら満車・空車の連絡を取り合って、手動で満・空の電光掲示板を操作したこともあった。この実験などを通じて、昭和63年(1988)に豊田市中心部一帯の空きの駐車場などを案内する駐車場案内システムが完成。今では当たり前のようなシステムだが、駐車場以外にも

元のページ  ../index.html#39

このブックを見る