交通まちづくりとともに
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前史 1971-1990( 昭和 46年 〜 平成2年 )21当時考えられていた、都心と市域を結ぶ市民高速ラインのイメージ図。市民高速ライン(基幹バス)は原則として道路上の専用空間を走行することが考えられていたが、交通過疎地域への乗り入れは例外として一般道路の使用を認める計画としていた。これは、利便性と投資効率のバランスを考えたもので、都心部、住宅地域、工場地域、それぞれに分けてふさわしいラインづくりが計画された。また、市民高速ライン道路に沿った遊歩道や用排水施設の建設、防災ラインの確立、さらには学校や住宅地の建設も未来予想図として描かれていた。(豊田市新総合計画1971-1985より)

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