交通まちづくりとともに
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前史 1971-1990( 昭和 46年 〜 平成2年 )19豊田市の交通問題解決における「要」に ちょうどこのころ豊田市は内環状線を2車線として都市計画を決定するため、愛知県都市計画審議会の承認を受けようとしていた。そこで豊田市交通問題研究会の栗本氏と荻野氏が中心となり内環状線のあるべき姿を検証。それをもとに審議が行われ、内環状線は2車線ではなく4車線が妥当との結論に達し、研究会理事長名で豊田市にその旨の答申が出された。 ところが、用地買収の不都合などにより、その一部が4車線ではなく2車線の計画として豊田市都市計画審議会と愛知県都市計画審議会により承認されてしまった。この、当初の審議内容とは異なる決定に対し、参加していた研究会の評議員から異議が唱えられた。豊田市で再検討の結果、内環状線の内側に新たな都市計画道路を予定することで決着した。 この事例は、研究会が豊田市の交通政策において無くてはならない、要の存在であることを印象づけた。環状線の整備についてはその後も長年にわたり調査研究が続けられ、環状線整備に大きな役割を果たした。

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