交通まちづくりとともに
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前史 1971-1990( 昭和 46年 〜 平成2年 )17討され、それを受けて豊田市内交通対策委員会が発足した。 委員会では交通渋滞だけでなく交通事故に関する対策研究も進めることとなり、委員長に豊田高専助教授の栗本氏、メンバーに豊田高専助手の荻野氏、中部地方建設局名古屋国道工事事務所長、愛知県警察本部豊田警察署長、愛知県豊田土木事務所長、トヨタ自工広報部長、豊田市役所助役らが選ばれた。豊田市交通問題研究会発足へ 委員会の活動が具体的になってきた昭和50年(1975)12月、トヨタ自工から地域貢献の一環として豊田市社会福祉協議会に基金が寄付された。主な用途は勤労福祉会館建設、豊田市民のための福祉対策、豊田市の交通問題解決であった。そしてこの基金などをもとに、豊田市長の西山孝氏は豊田市総合交通計画対策委員会を立ち上げ、部会長に名古屋工業大学助教授の松井寛氏を任命。さらに豊田高専の栗本氏や荻野氏、そのほか名古屋市を中心に交通問題について研究・活躍していた若手研究者を委員として豊田市交通問題研究会を発足させた。 研究会は、次に挙げた内容などを検討し、将来の豊田市の交通体系整備に向けた計画策定や、計画上の課題などを体系的にまとめた。

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