16前史 1971-1990( 昭和 46年 〜 平成2年 )ツ複合施設で、保見町の広大な敷地を利用して計画されたものだった。竣工イベント当日には、当時、絶大な人気を誇っていたアグネス・チャン氏や井上順氏などのタレントを招いた大掛かりな催しが二部制で企画されており、周辺道路の大混雑が予測されていた。そこで、トヨタ自工の交通環境委員会に所属していた小島文毅氏と河野安宣氏から、研究室に対策相談が持ちかけられたのだった。 研究室ではちょうど、豊田市とともに国道248号の渋滞対策を行っていたことから、研究室、トヨタ自工、豊田市の三者が共同でイベントに関連する渋滞対策を検討。観客の入れ替え時に起こることが予想された往路・復路の重複による渋滞緩和のための車の経路調査や、周辺の渋滞予測地点での交通実態調査が行われ、問題回避を模索した。イベントは長時間にわたることが予定されていたため、実態調査も早朝から夜にかけて丸一日をかけて行った記録が残っている。豊田都市交通問題研究会の先駆けとなった「豊田市内交通対策委員会」 昭和48年(1973)6月には、建設省中部地方建設局名古屋国道工事事務所(現・国土交通省中部地方整備局名古屋国道事務所)において豊田市の交通渋滞対策に関する委員会の設置が検
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