交通まちづくりとともに
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前史 1971-1990( 昭和 46年 〜 平成2年 )15道248号のトヨタ町~梅坪町までの区間は交通混雑が特に激しく、朝夕の交通渋滞はもとより交通事故も多く発生し問題となっていた。これに何らかの対策を講じたいと、豊田市助役の加藤正一氏(後の市長)と、市民環境部安全対策課長の小島昌資氏が、豊田工業高等専門学校(豊田高専)土木工学科都市研究室に相談をもちかけた。当時その研究室に所属していたのは、助教授であった栗本譲氏(後の教授)と、同年4月に赴任したばかりの助手、荻野弘氏(後の名誉教授)だった。 豊田市からの相談を受けて、研究室は豊田市市民環境部安全対策課とチームを組み、対象地区の国道248号を中心に交通量調査を実施。調査内容に関しては主に研究室が主導し、国道248号の4車線化や、交通信号の路線系統化などの対策案を打ち出し、豊田市土木事務所、豊田警察署、豊田市役所に提案した。イベントの渋滞緩和にも成果 この総合交通体系の調査研究の成果が評価され、豊田高専の研究室には、昭和48年(1973)5月に完成するトヨタスポーツセンターの竣工記念イベントで予想される、交通渋滞対策の依頼が舞い込んだ。 同センターはトヨタ自動車工業株式会社(トヨタ自工)が豊田市保見町に建設していたスポー

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