173エピローグ 昭和30年代から40年代、日本におけるモータリゼーションは大きく進展したが、一方でその副作用ともいえる交通事故、交通渋滞、交通公害そして公共交通への負の影響が次第に顕在化した。「クルマのまち」を自称する豊田市では、これらの問題解決にいち早く取り組み、昭和48年(1973)に豊田市内交通対策委員会を立ち上げ、それが昭和54年(1979)豊田市都市交通問題研究会となり、平成3年(1991)には豊田都市交通研究所という地方都市としてはユニークな都市交通専門研究機関が生まれた。 それから30年がたった今、これらの問題はおおむね解決されたのであろうか。実態はこの間に人々の安全や環境に関する意識が大きく変わり、今もって重大で喫緊の課題として研究所の前に立ちはだかっている。 平成3年(1991)の交通事故死者数は1万人を超える水準であったが、令和元年(2019)には3215人となり昭和23年(1948)に警察庁が統計を開始して以来最小となった。それでもまだ毎年3千人近くの人々が、交通事故が原因で亡くなっていることは事実である。特に豊
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