6プロローグ 戦後の混乱が落ち着きを見せはじめた昭和26年(1951)、日本は朝鮮戦争の特需をきっかけに、経済の活気を回復しつつあった。同年、豊田市の前身である挙母町は待望の市制を施行し、愛知県内では12番目の市となる挙母市が誕生した。挙母町周辺は明治・大正の時代、養蚕を産業の中心として栄えた街であったが、養蚕に陰りが見えはじめていた昭和10年代にはいち早く自動車工場の誘致に乗り出していた。誘致の成功とともに大規模な工場が建設されると協力企業の工場も次第に増加しはじめ、こうして後の「クルマのまち」豊田としての第一歩を踏み出すのである。戦後になると自動車産業はますます活性化し、戦後の挙母町の景気回復は、自動車産業やそれを取り巻く機械産業が中心となった。 自動車産業の急成長とともにまちは大きく発展し、昭和33年(1958)には市名を豊田市に変更。また、市名だけでなく隣接する町村との合併で、市の拡張も積極的に行った。昭和31年(1956)に西加茂郡高橋村を合併したのを皮切りに、碧海郡上郷町、碧海郡高岡町、西加茂郡猿投町、東加茂郡松平町と合併した結果、市政施行時に面積38・65キロ平方メートル、人口
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